書家
森田子龍
1912年(明治45年)~1998年(平成10年)12月1日。兵庫県豊岡市生まれ。本名・清。
上田桑鳩に師事し、戦前の書芸術運動の中核である『書道芸術』誌の編集に携わった。
戦後は諸芸術革新の先頭を切って墨人会を結成、『墨美』誌を主宰。それを拠点に世界の美術界に「書あり」の一大運動を展開し、1955年のヨーロッパ巡回「現代日本の書・墨の芸術」展を企画した。
命の躍動が外に躍り出て形を結んだものが書であるとし、作品を世に問うている。
「人間の肉体的な動きは、人間の内奥最も深いところにつながり、そこから命の躍動そのままに出てくる原初的かつ根源的な表現の道なのである。書がこの未知の上に成立しているということの意味は、重大である。この道を外れたところでの表現は、その深さにおいて、強さ自然さにおいて、到底書表現と比べることはできない。私は書を考える上で、まずこの一点を要として確実につかんでおきたい、と考えている。」(森田子龍)